きょうだいでうったお写真。
原爆でおばあちゃん以外の全員がなくなりました。
もちろん5ひきのわんこたちも。
お父さんもお母さんも。
おうちは爆心地から道をはさんでまん前に。
そうしたらもちろんお写真も全部が焼けてしまいました。
遠くの親戚の手元にあったのんをいただいたそうです。
わたしの血がつながった大切な大切なおにいちゃん、おねえちゃんたち。
もう、わたしのほうが、すっかり歳をおいこしてしまったけれど。
その日、おばあちゃんは18歳でした。
原爆投下直前の終戦間際の頃には、軍事工場で働いていたそう。
そうして、、、
あの瞬間から、焼けこげたかおりの街をたったひとりで。。。
おばあちゃん、足がむくむね。
なでなでしようね。
どんなかおりがいい?
おばあちゃん、もっともっと長生きしてね。
そのお時間がしんどくないように、
おむねがくるしいときは、バラのかおりで、
手がしびれるときは、オレンジのかおりで、
足首がなくなるくらいにむくむときには、カモミールのかおりで、
そぉおっとなでなでするからね。
わたしがするからね。
おばあちゃんの残りのお時間は、
うーんとしあわせじゃないと。
いつもいつも笑顔で、いっぱい笑わせてくれてありがとう。
「どぎゃんもこぎゃんもなかばってん。」な威勢のいい長崎弁は、
わたしのイチオシの"アントキの猪木"より100万倍おもしろいよ。
おばあちゃん。おばあちゃん。おばあちゃん。
さみしかったね。
つらかったね。
でも、生きてくれてありがとう。
おかんをうんでくれてありがとう。
だから、ここにわたしがいるよ。
わたし、すごいいっぱいしあわせやよ。
おばあちゃん、ありがとう。
おばあちゃん、ありがとう。
13年前の今日、阪神大震災がおこりました。
あの日のおばあちゃんのように神戸でも深いいたみを
ココロにカラダにきざんだ方がたくさんです。
どんな言葉がちょうどなのか、うまくみつけることができません。
それがみつかるまでは、
おばあちゃんが教えてくれたことばを
そのままに伝えていくことと、
そして、せいいっぱいに、
今ここにいることができるしあわせに感謝をして。
love&peace。
あたりまえの毎日はあたえられた毎日、
大切に大切に、生きていこうね。